2年前の誕生日、脇腹に小さなさそりのタトゥーを入れた。
あの時は毎日が苦しくて、一日中死にたくて、ずっと泣いていた。
自分を変えて辛さから逃れたかった。
新しい自分になりたかった。
当時のバイト先にはタトゥーをしていない人はいなくて、その影響も少なからずあったのかもしれないけれど、一生消えない彫刻をすることは、温室育ちの私にとって、その場のノリや衝動だけで決められるような適当なものではなかった。
実際、誰にも見えない小さなタトゥーを入れたくらいで、なんにも変わらない。
カッコよくもなれないし、大人になったわけでもオシャレになれたわけでもない。
世界は世界のままで、
友達は友達のままで、
私は私のままだ。
だけど、脇腹のそれは私の私に対する決意と覚悟を確固たるものにしたし、私がより一層私として生きていくことを自覚するための大切な儀式になった。
終わって気付かされたのは、一種の自傷とも言われかねないこの行為が、決して逃避なんかではなくて、むしろ自己へ直面する行為だったということ。
苦しさから逃れたい、生まれ変わった新しい自分になりたい、そんな思いでタトゥーを入れても、やっぱり私は絶対的に私だった。
昨日までと何も変わらない私。
人生において、「どうにもならないこと」というのはどうしても存在するし、自己が自己であることを、誰しも知らず知らずのうちに諦めていくけれど、その自明さを突きつけられたような気がした。
死にたくて堪らなかった私は、今とのところまだ生きているし、おそらくしばらくは生きていく。そしてそのうちまた死にたくて堪らない夜が来るはずだ。
私の通った道は、消えない。
死にたさも、消えない。
同じように、楽しかった日々は過ぎても、その時の感情が消えることはない。
脇腹のさそりは、絶望していた私に永遠を気付かせてくれたんだと思う。