日記

毎日の喜怒哀楽と将来、恋愛。面と向かって言えないこと。

コンプレックス

小さい頃、あまり人に甘えられなかった。

末っ子として育って、両親はたくさん愛してくれたけど、とても厳しい人でもあった。

小さい頃から背の順で一番後ろだったから、あまり大人に可愛がられなかった。

 

甘え癖がつかないようにと、1歳の頃には親と違うベッドで眠らされた。

幼稚園のお泊まり保育でお化け屋敷があった時、泣き叫ぶ園児はみんな女の先生に抱っこされていたけど、背が高かった私だけオバケの格好をした男の先生に抱っこされた。とても怖くてますます泣いた記憶がある。

小学校の入学式、新入生はみんな名前の順に並ばされ、2年生に手を繋がれて教室へ連れていかれる。私を担当してくれた2年生は私よりも背が低かったから、新入生なのに先輩よりもデカくて、「あの子大っきいね〜」と笑われながら体育館を出ていくのがすごく恥ずかしかった。

上級生の人たちが1年生の教室に来て「カワイイ〜」とか言う時、私はいつも視線をそらされた。上級生にとって、自分より大きい1年生はカワイクないから。

 

小さい子どものカワイさは、「小さくてカワイイ」だ。ミニチュアみたいな幼児服、手のひらサイズの靴、そういうのは全部「小さいから」カワイイ。

 

私はいつも同学年の他の子よりも大きかった。だから「カワイイ」対象になれなかった。

 

そのうち私は「カワイク」なりたいと思うのをやめた。大人や年上の人に、可愛げをアピールして愛想良くすることをしなくなった。

どんなに「子どもらしさ」を見せたところで、小さくてカワイイ子どもには勝てなかったから。

 

本当は上級生に可愛がられたかった。先生にワガママを言って甘えたかった。

でも私はデカいから、同じことをしてもカワイクなれないんだと実感していた。

 

しばらくすると「大人っぽいね」と言われるようになった。

大人っぽいんじゃなくて、デカいから子どもっぽい振る舞いをすると違和感が出るんですよ、本当の私はどうしようもなく子どもですよ。

そう言いたかったけど、それは「大人っぽく」いなきゃいけない私のとるべき言動じゃないから、言わなかった。

 

小さい頃から習っていたクラシックバレエでは、身長が高いからいつも男の子役やオオカミの役をやらされた。

私だってフリルの付いた衣装を着たり、ティアラを着けたかった。

大学1年生の時はサークル見学に行っても新入生だと思ってもらえなかった。

未成年の時、コンビニでお酒をレジに持って言っても年確されたことがなかった。だからお酒を飲んだし、タバコも吸った。

学生なのに洋服屋で店員さんに「お仕事なにされてるんですか?」って聞かれることなんてしょっちゅうあった。

初めてやったバイトでは、「背が高いから力があるよね!」って言われて重いものをたくさん持たされたし、

初めて私を好きだと言ってくれた人に甘えてみたら、「もっと自立していてクールな子だと思ってた」って引かれた。

 

背が高いから、「強そう」「カッコイイ」「クール」「何でもできそう」「宝塚に入ったら?」。

私にとってはそんなの全然褒め言葉に聞こえない。

 

私ができるだけ我慢するのは、甘えないようにするのは、クールに振舞ってみせるのは、私みたいにデカい奴が甘えても全然カワイクないって言われるからだ。

 

そんなの被害妄想だって言われるかもしれないし、私より背の高い女の子もいるかもしれないけど、でも私は幼少期からこれまでの人生の中でそう思わざるを得ないような体験をいっぱいしてきた。

 

「背が高い方が洋服が似合う」「手足長いしスタイルいいじゃん」「結局はないものねだりだよね」

そんな言葉が一番腹立つ。

違う。

私は小さくなりたいんじゃない。

身長が高いことが嫌だって言ってるんじゃない。

そうじゃなくて、身長の高い私が「カワイイ行動」をした時や、人に甘えたりした時に、それをバカにされたり、引かれたり、そういう自分を否定されたことが悔しくて悲しかった。

 

もうそんな思いをしたくなかったから、できるだけクールに、甘えないようにしてきた。

そういうカワイさは自分には似合わないって言い聞かせて生きてきた。

初対面の人に怖いって言われたり、近寄り難いって言われても、そういうカッコイイ自分でいないと、本当の自分を見せたら否定されそうで怖かった。

 

身長が伸びなくて悩んでいる人にこんな話をしたらきっと憤慨されるのかもしれないし、

人にはみんなひとつやふたつコンプレックスがあるものだよね。

 

進撃の巨人』があるなら『進撃の小人』も作ってほしい。大きいものだけが恐怖の対象ってことはないよ。

 

今、背筋伸ばして自信を持って歩いている私のことが、私はとても好きだよ。