日記

毎日の喜怒哀楽と将来、恋愛。面と向かって言えないこと。

毎日生きてても言いたいことや思ってること、あまりちゃんと人に伝えられることってない気がする。

これ言ったらどう思われるだろう、とか自分の話ばかりしすぎかも、とか考えて、思っていることを飲み込んだりする。

 

あの人には何でも言えた。「これ言って嫌われたらどうしよう」っていう不安をそのまま言えた。

愛も怒りも苦しさもぜんぶ伝えることができた。

私はとても幸せだったし、だから彼のことがとても好きだったけど、そのとき彼が本心で私のことをどう思ってたのかは今でも分からない。

 

嫌われても別にいいって思える精神は何よりも強いと思う。自分に自信がある人はとても魅力的に見える。

実際思っているだけじゃ伝わらないことも、言ってみたら案外理解されるかもしれない。

それでもやっぱり嫌われることは怖くて、それが大切にしたい関係の相手なら尚更。

 

私が言われて今でもトラウマになっている言葉は、大好きな人から言われた「みんながみんなお前のことを理解してやれると思うな」って言葉だ。

それ自体たしかに正しくてすごく納得させられる言葉だったけれど、それまで理解してもらおうと思って私が必死で伝えていたことが、無駄だったんだと思わされる言葉でもあった。

そして、彼自身に私を理解するつもりがないということを遠回しに言っている言葉でもあったから、とても傷ついた。

 

人から嫌われること、理解されないことは苦しくてもどかしい。

誰だって好きな人には自分を一番に知ってほしいと思うだろうし、好きな人のことは自分が一番把握していたいと思う。

自分の気持ちと、相手の気持ちがまったく同じならいいけど、少しずつ違うから厄介だ。

相手に期待しすぎちゃいけない。でも期待したい。でもガッカリしたくない。でも信じたい。でも傷つきたくないし傷つけたくもない。

 

冷めない気持ちがあれば、この不安はもっと軽くなるだろうなと思う。永遠に絶対なものがあるならば、もっと力を発揮できる気がする。

 

不安でいっぱいになって、もう人間となんて関わりたくないと思っても、そこから救い出してくれるのはいつも人間だから、今日も泣きながら笑わなきゃいけない。

小津によく似た少年。

大学一年の頃、友達の紹介で出会った男の人がいた。

友達と同じ大学の人で、でもたしか年齢は私よりひとつくらい上だった気がする。

友達に紹介される前から、彼とはなぜだったかSNSをフォローし合っていて、そこでの彼の発言が私はとても好きだった。

 

会う以前から少しの好意を持っていた彼との会話を、私はもうほとんど覚えていない。

その後彼はSNSをやめ、大学にもあまり行かなくなったようなので、私が彼と話したのはそのたった一度だけだった。

 

もうほとんど覚えていない彼との会話で、私が唯一ずっと忘れずに覚えていることがある。

 

「二十歳超えて香水つけてない女はダメ。」

彼はそう言った。

 

今だったらもしかすると、何とかハラスメントの類で問題になりそうな発言だが、大学に入りたてでお酒や化粧や男を覚えたばかりの当時の私にとっては、自分より少し大人な男性の言ったその言葉がすごく意味深く思えてしまった。

 

実際彼はとてもオシャレな人だったので、その発言の意図は別に女性への蔑みとかではなくて、ただ彼自身の女性の好みと、それから身なりに気を使うことが彼にとっての重要事項だったということから来た自然な言葉だったんだと思う。

 

その言葉に強い衝撃を受けた私だったが、二十歳を超えても香水をつけたことがなかった。

香水は高いし、どれがいいのかも分からないし、周りの人と好みが違ったら不快感を与えてしまうかもしれないから。

それに私は香水の香りよりも柔軟剤や日向の香りのような生活感のある香りのする男性が好きだったから。

高いブランドの香水よりも、好きな人の肌の匂いや服の方がずっと抱きしめていたくて、それが私を愛おしくも苦しくも死にたくもさせてくれたから。

だから私には香水なんか必要なかった。

 

 

22歳の私は、今日、初めて香水を買った。

前から好きだった化粧品ブランドの、1万5千円くらいする香水を。

私にはもう、香水が必要だった。

私はもう誰かの香りに泣いたり笑ったり人から嫌われたらどうしようなんて悩んだりしていられるほど、素直ではいられなくなったのかもしれない。

 

あの人のことで、そしてあの人のことで、それからいつかのあの人のことで、ダメになってしまう。いつもダメになってしまう。

だからもうダメになりたくないから、私は私の、香水を買った。

 

「二十歳超えて香水つけてない女はダメ。」

そう言った彼は今どうしてるんだろうか。

ちゃんと大学を卒業したんだろうか。

就職したり彼女がいたりするんだろうか。

そしてどんな香水をつけているんだろうか。

今日はずっと、そんなことを考えている。ずっと考えてしまう。

2年前の誕生日、脇腹に小さなさそりのタトゥーを入れた。

あの時は毎日が苦しくて、一日中死にたくて、ずっと泣いていた。

自分を変えて辛さから逃れたかった。

新しい自分になりたかった。

 

当時のバイト先にはタトゥーをしていない人はいなくて、その影響も少なからずあったのかもしれないけれど、一生消えない彫刻をすることは、温室育ちの私にとって、その場のノリや衝動だけで決められるような適当なものではなかった。

 

実際、誰にも見えない小さなタトゥーを入れたくらいで、なんにも変わらない。

カッコよくもなれないし、大人になったわけでもオシャレになれたわけでもない。

世界は世界のままで、

友達は友達のままで、

私は私のままだ。

 

だけど、脇腹のそれは私の私に対する決意と覚悟を確固たるものにしたし、私がより一層私として生きていくことを自覚するための大切な儀式になった。

 

終わって気付かされたのは、一種の自傷とも言われかねないこの行為が、決して逃避なんかではなくて、むしろ自己へ直面する行為だったということ。

 

苦しさから逃れたい、生まれ変わった新しい自分になりたい、そんな思いでタトゥーを入れても、やっぱり私は絶対的に私だった。

昨日までと何も変わらない私。

 

人生において、「どうにもならないこと」というのはどうしても存在するし、自己が自己であることを、誰しも知らず知らずのうちに諦めていくけれど、その自明さを突きつけられたような気がした。

 

死にたくて堪らなかった私は、今とのところまだ生きているし、おそらくしばらくは生きていく。そしてそのうちまた死にたくて堪らない夜が来るはずだ。

 

私の通った道は、消えない。

死にたさも、消えない。

同じように、楽しかった日々は過ぎても、その時の感情が消えることはない。

脇腹のさそりは、絶望していた私に永遠を気付かせてくれたんだと思う。

 

三年おくれて来る

「いますぐいちどに、すべて問題を解決しようと思うな。ゆっくりかまえて、一日一日を、せめて悔いなく送りたまえ。幸福は、三年おくれて来る、とか。」

 

太宰の随筆で読んだ一文。

この一文が私はずっと大好きだ。

「幸福は、三年おくれて来る」

それは、未来への大きな希望のような、でも太宰が書くことによって全部嘘になってしまうような、まるで自分に言い聞かせるための呪文のような言葉。

 

努力は報われないこともある。

毎秒神に祈っても叶わない祈りもある。

夢を見るたび、正月が来るたび、流れ星が降るたび、いつも祈っていた願いがあった。

救いたかった人がいた。

諦められない悔しさを、いまだに心のどこかに潜ませている気がする。

 

死にたいと嘆く日も、苦しさで身を保っていられない日もたくさんある。それはたくさん、たくさんある。

それでも私はあと三年は生きる。

おくれて来るかもしれない幸福とすれ違わないために。

ハッピー

ここ最近本当に性格が変わったと思う。

根本的には何も変わっていないのかもしれないけど、いろんなことに自信がついた。自分に対して自信を持てるようになった。

 

大学4年間で得た経験は私にありとあらゆる世界を見せてくれたし、バイトで常連客と接しているうちに誰とでも緊張せずに話せるようになったのもあるかもしれない。

 

今年下の人たちに囲まれた環境にいると、自分の過去の経験がどれほど自分を支えているか、どれほど価値あるものかを実感できてすべてを抱きしめたくなる。

 

この間、3年ぶりに会った人から

「浅井さんってこんなに明るい人でしたっけ?」

と言われた。

私自身だけじゃなくて、他人にも変化が見えていることにびっくりした。

たぶん今の私と初めて出会った人は誰も私のことを「人見知り」や「コミュ障」と思わないだろうと思う。

 

 

これまでの私は、今よりももっと自分のことにいっぱいいっぱいで、自分で自分を認めてあげることも出来なくて、惨めで、それが原因で人に嫌われて、また自信を失うということの繰り返しだった。

 

私は今の私が好きだ。

もちろんこれまでの陰鬱とした私が完全に消えることは無いのかもしれないけど、それでも私は私が大好きだ。

 

努力している私も、努力できなかった私も、汚れた私も、志の高い私も、全部が私でよかったと思えるようになった。

 

過去の失敗はやり直せないけれど、いつか報われる日が来るといいなと思う。

悔しかったことや悲しかったことを、いつかきちんと理解できるようになりたい。

謝れなかった人に謝って、喧嘩した人と仲直りして、言えなかった感謝を言いたい。

そしてもっと頑張れる日が来たなら、その時にはすべてを許されたい。

知らない人

知らない人に対しての警戒心がすごい。

でもその分知り合った時の警戒心の解け方もすごい。

 

昨日まで知らなかった誰かと寝た朝の、急に他人に戻る瞬間が苦手だ。

急激に悲しくなる。

ついさっきまで肌が触れ合っていて、髪を撫で合ったり手を繋ぎ合ったりしていたのに、一瞬で他人に戻るあの感じ。

 

どうでもいい世間話をして駅まで歩く道。

翌日には連絡すらとれなくなっている相手。

 

どんなに虚しさに押しつぶされそうになったり、自己肯定感を削り取られていったりしても私がそんな人と会おうとするのは、

知らない相手を知る瞬間に、「もしかしたらこの人と一体になれるんじゃないか」って希望を抱いているからだ。

 

当然そんなことはなくて、知らない人は身体だけ知ってる知らない人になるだけで、後に残るのは虚しさや悲しさだけなんだけど。

 

愛する人に愛されない世界で、その時だけでも私を愛してくれる人がいることが嬉しい。

たとえその嬉しさが一瞬で砕かれても、誰からも愛されないより全然いい。

 

最低な男に巡り会った時、その人を否応なしに攻めることができたらきっと私の自信は傷つくことがないんだと思う。

でも私は、そんな男の最低な言動を私のせいにしてしまう。私がもっと上手くやれれば、こんな結果にならなかったんではないかと想像してしまう。

 

苦しさは苦しさで消せない。

一瞬の間打ち消されるだけで、見えないところで積み重なって私をもっと苦しくさせる。

 

昨日まで顔も知らなかった人と抱き合って、明日になったらどこにいるかも分からない他人に戻っている。

苦しさが少し埋められてまた苦しさに変わる。

 

私は何をやっているんだろう、って思ってもどこにも行くことができない。

ミスタ・ヘッド

本心を人から見透かされていると、恥ずかしくって死にたくなる。

私の下心も思惑も、ぜんぶ浅はかでバレバレだった。

前にバイトの先輩から借りた小説の中の

「そのうち自分が思うほど利口じゃないことに気がつくさ。」

という台詞に、今とても深く共感している。

 

私は空っぽで薄っぺらい。

そんな私に寄ってくる人たちも、みんな空っぽで薄っぺらいのかもしれない。

 

好きな人に拒絶されると安心する。

その人は、私と違って空っぽでも薄っぺらくもない素敵な人なんだって思えるから。

自分の惨めさが際立って、より一層相手のキラキラが増す。

そうやって苦しさはいつも誰かを愛しく思う気持ちのそばにあって、やってらんないよなあ、もう、と思っている。